考える練習としての現代文

自分自身、厳密な議論は得手ではない。しかし学問上に限らず、かみあった話をしようとするなら、言葉をどのような意味で使っているのかぐらいは共有しておかなければ話にならない。少なくとも出発点を確認して話を始める努力はすべきだと思う。
現代文が苦手だという生徒は、話の筋道を追えていない場合もあるが、文章の書き手がある言葉をどう定義しているかというところを読み取れていない場合も多い。また、三年生の小論文や自己推薦書・志望理由書などを見ていると、「自由」とか「個性」とか「国際」とかいう言葉を漠然と定義なしで使うことが多く、そこにいらついてしまう。
特に色々な人が色々な意味で使っている便利な言葉は、その意味するところをつきつめて考えることが大切なのだろうと思う。そのために、色々な人が色々な観点から書いたものを読むということが、まずは必要。現代文という科目の意味はそういうところにあるのかもしれないと、最近考えている。
というわけで、テーマを決めていろいろ読む、読んだ上で書くという授業を模索中。さてさて。