雨、前提の共有

外出先から家に帰ってきたら、その途端に雨が降り出した。ちょっと愉快。涼しくなるし。もっと降れ。
たとえば治安と統計の話でも、ジェンダーセクシュアリティの話でも、言語と世界の話でもいいのだけど、本を読んだり人と話したりしている中で、「世間の常識」が覆る瞬間を体験することがある。これはなかなか楽しいものである。
でも「世間」では依然「世間の常識」が「常識」として通用していて、自分としてはそれをひっくり返した上でその先の話をしたくても、話が通じなくてもどかしく思うことがある。
生徒もその代表。でも「現代文」的な文章には「常識」をひっくり返そうという方向のものが(探せば)たくさんあるから、授業を通じて前提を共有できる可能性もある*1。その点、自分より目上の人は難しい。面と向かって批判もできないし。違和感だけがもやもや残る、という場面も少なくなかったり。オトナの世界ってそんなものなのかな。

*1:その文章の観点が正しいとも限らないから必ずしも賛同しなきゃいけないわけではないよ。知るか知らないかの問題。