凍りのくじら

そしてもう一冊。うかつにも夜中に読み始めてしまった。そのまま朝方までかけて読了。

凍りのくじら (講談社文庫)凍りのくじら (講談社文庫)
辻村 深月

講談社 2008-11-14
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失踪した父が藤子・F・不二雄先生をこよなく尊敬していたという設定で、ドラえもんひみつ道具がいくつも登場する。このへんをどう評価するかは分かれるところかなと思うが、ともあれドラえもんをよく知っていれば間違いなく楽しめる。ひみつ道具の使い方、エピソードの絡め方が非常に上手い。
主人公の理帆子は、クラスのリーダー格の子とも友達のいない地味な子とも遊び好きなコンパ仲間ともうまく合わせてやっていけるけど、本当の自分はそこにいない「すこし・不在」な女子高生。ある日、新聞部の三年生のメガネ男子に写真のモデルを頼まれるところから物語が動き出す。
このメガネ男子の別所くんがあまりに素敵なもんで、こんなナイスガイ実在するかよ!と思わずツッコミたくなる(のだが、最後まで読むと…)。ちょっと痛い元カレが狂っていくさまとかは背筋が凍る。うまいなあ。後半はもうけっこう涙腺崩壊な感じ。うおーん。
この本の解説で瀬名秀明が「理帆子は決してすぐさま読者の共感を得るタイプではない。誰もが「そうそう、これって私のこと!」と錯覚し、一体化できるような主人公とはちょっと違う」と書いている。
私はそれを読んで「そんなー!」と思った。本が好きで勉強もできるけど相手に引かれないように話を合わせるとか、どこか覚めてて人を馬鹿にしているところがあってそのせいで後で痛い目をみるとか、「私か!」って思いながら読んでましたよ、私は。
辻村深月の小説を読んでいると、この作者が育った環境は私のそれと近いのではないかなあという感じがする。そして、そういう気持ちで読んだ物語って実は多くないんじゃないかと思う。
私は学校の中でうまく適応している優等生だった。物語というのは私のような人に向けて書かれるものではないのだと、小さい頃から何となく思っていた。自分が文学を必要としている人間ではないということに(とりわけ国語教師として)負い目を感じることもないではない。
「これは私だ。私の物語だ」と思える作品にもっと早く出会っていたら、私のフィクションに対する構えも今とは少し違っていたかなあ。