当事者主権

当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))

当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))

社会的弱者とされる人々に「私のことは私が決める」ことを取り戻すべし、という主張。専門家が「あなたのことは私がよくわかっている」と決めるパターナリズムを拒否し、当事者が自分のニーズを決めそれを満たすことができるように、ということで、障害者の自立生活センターの事例が紹介されている。障害者の支援費制度がこんな風になっているとは知らなかったし、問題の多い介護保険制度との落差にも驚いた。しかしこんな風に勝ち取ることができるのかというのは、力づけられる。
この本でも「障害が障害であるかどうかは社会が決める」と述べられているが、それは実際にそうだと思う。思い出すのは斉藤くるみ先生が「少数言語としての手話」の講義で話された「私たちは翼のある人間をうらやんだり、翼のない自分がみじめだと思うとは限らない。それは聴者とろう者においても同じだ」というたとえ話。とてもわかりやすくて印象に残っている。この例でさらに想像してみよう。
翼のある人間がマジョリティーであるような社会では、高いビルにも階段は不要だからついていないかもしれない。そんな社会で翼のない私たちは間違いなく障害者である。その時に私たちが望むのは「なんて可哀想な人だ」と慰められたり助けてもらったりすることではなく、建物に階段を設置して自分の力で上の階まで行けるようになることではないだろうか。
「社会的弱者」に必要なのは上からの援助などではなく、「弱者」でなくなるような社会なんだな。