synodosセミナー大野更紗

synodosセミナーで『困ってるひと』の大野更紗さんの話を聞いてきた。
生で会える。しかも少人数で。これはサインをもらうチャンス!と思ったのだが、私の『困ってるひと』がどうしても見つからない!誰かに貸したんだっけ?全く思い出せない。仕方がないので、行きに本屋に寄って駆け込みで買った。ついでに百均で色紙とマジックも買って万全の体制。サインを頂いたら図書館に飾るのだ。ふっふっふ。

困ってるひと困ってるひと
大野 更紗

ポプラ社 2011-06-16
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セミナーは午後3時から二時間の予定が、8時近くまで!なんと贅沢な。こちらは嬉しいけどお疲れが出ないか心配にもなる。しかし中身のぎゅっとつまった時間で、あっという間だった。
以下、ツイッターにつぶやいた内容をメモにあげておきます。

  • 「社会モデルへのパラダイム転換−コミュニケーション不全から脱却するために」という題で、疾患や障害のある状態を「正常」に近づけていく医学モデルから、困ってることをなくすため社会が変わっていく社会モデルへ、どのように「共通言語」を獲得していくかというような。 posted at 21:55:00
  • 医療は「論証」することが難しく、患者が「選択」できるだけの情報を持っていない。医師も誤診をすることがある。ここで紹介されていた『医者は現場でどう考えるか』(ジェロー・グループマン)がすごく面白そう。様々な医師の認識エラー。善し悪しではなく、人は間違うもの。posted at 21:58:35
  • 医療には不確実性がともなう。とりわけコミュニケーションの不足や先入観が重大なミスを呼ぶ。生存権を侵すかもしれない不確実性を社会はどう受け入れられるのか。posted at 22:01:06
  • 障害者運動の歴史を振り返ると、脳性まひの映画「さようならCP」(原一男監督)のように上映と運動の相互作用があった。今何が起きているかをとにかく記録していく必要があるし、言論を構築するための良質なデータを蓄積する必要がある。posted at 22:04:01
  • 知的障害、精神疾患の当事者、認知症の高齢者の「ニーズ」とは何か。判断は難しいし、状態もニーズも変動する。方向喪失の時代に、その上で方向を探る。posted at 22:05:25
  • ひとつひとつ正確に語ろうとする大野さんと、要領よくまとめる荻上チキさんのバランスがよく、とても面白かった。「個人への信頼を担保にした説得はしない」という大野さんのストイックな姿勢が印象深かった。posted at 22:09:14
  • 「自分が危機的状況にいることが信頼のバーターかも知れない」ともおっしゃっていた。でなければ淘汰される。そういう意味で言論を信頼していると。それに対するチキさんの「本当に必要な言葉をなかったことにされることもある、淘汰も批判的に見なければ」という言葉も印象的。posted at 22:13:11
  • リテラシーを上げなくては生きていけない、という言葉もあった。医師の診断に対し、必死に調べた患者の判断の方がより適切な場合もある。医師が全知全能ではないことを受け入れて、患者や社会の側が変わっていくことはできるか。 posted at 22:20:02
  • 医師や科学者などの専門家は全知全能ではないが、専門家としての仕事もしてもらう必要がある。ここで私が連想したのは「学習者主体の教育」や、裁判員制度のこと。情報や権力に非対称性がある関係のあり方が、社会の色々なところで変わっていく必要があるのかも。posted at 22:22:48
  • ゲストでいらしたNPOグレースケアの柳本さんのお話も面白かった。自費で行う介護事業を展開されている。これが介護保険で何ができて何ができないかを逆照射するという。posted at 22:26:23
  • 制度の確立には時間がかかるが、フレームワークを社会が受け入れるための土台を作るのに、作家や読み物の果たした役割は大きい、という話も印象に残った。大野さんもその役割の一端を担っていると思う。彼女のように語れる言葉を持つ人が難病当事者になったことの意味は大きい。posted at 22:31:02
  • 今日のセミナーのメモ終わり。連投すみません。まだ書ききれないこと、これから考えなきゃいけないこと、たくさんあります。重たい宿題だけど、みんなで考えたい。学校に戻って生徒にも伝えたい。とりあえず書いて頂いた色紙を図書館に飾りますw posted at 22:33:38

(はじめてまとめて頂いた:http://togetter.com/li/223509
大学で手話を始めた時は純粋に言語学的興味で、福祉的な観点はむしろ避けてた。でもろう者・ろう文化・ろう教育のことを知るうち社会モデルの必要性を感じてきてて、その辺がこのセミナーで全部つながった感じがする。やっぱりちゃんと考えなきゃな、と。
また同時に、話を聞きながら自分の「切実でなさ」をつきつけられているような気もした。いま困っていないひとが考えてコミュニケーションを取っていくことは必須だけれど、当事者を代弁してはならない。自分の文脈に回収してはならない。言葉を奪ってはならない。